カテゴリー「急行券」の7件の記事

2022年11月14日 (月)

急行「花たび そうや」その3(音威子府→旭川)

 前回書いたのが6月なので、半年近く間が空いています(そもそもブログ自体の更新が1か月空いてるらいいです)が、「花たびそうや」号の記事を書き上げてしまおうと思います。

 音威子府まで進んでいますので、今日はここからです。3分停車で音威子府を出ると次は美深です。指定券と席が変わります。今度は1号車の「山明」です。記事を書いている間に、音威子府村の畠山製麺は廃業し、別の製麺所が、黒くない音威子府蕎麦を作り始めたそうです。これで最後、と思い、天塩中川で買いましたが、この1か月後、また音威子府の道の駅で生蕎麦を買っていました。

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 音威子府以南は、開拓が進んでいる土地なので、車窓的には、延々と畑が続き、特に面白いものはありません。美深の到着は1203で10分停まります。私の指定券はここで一旦区切れますが、席は同じです。2番線の到着で、駅舎内でグッズ等の販売をしています。

2022_05290201(美深駅のNゲージ)
 とりあえず窓口に行って、常備券類を買います。走って2番目に着きましたが、すぐ長蛇の列ができました。これだけ並んでいるので、補充券は遠慮しておきます。1人目は初野まで作ってもらっていました。窓口は2人で臨戦態勢です。2枚買って、次はグッズ販売に回ります。絵葉書やらなにやらいろいろありました。乗客のほとんどがオタクなので、国鉄時代の硬券もよく売れていたようです。個人的に目を引いたのは、Nゲージのジオラマがあって、これは前からありますが、そこに、3両編成の「花たびそうや」号が走っていたことです。自作か?とも思い、帰ってから調べると、TOMIX が山紫水明も北海道の恵みシリーズも出していて、そのうち、山紫水明は、今、家で走っています。

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 添乗の社員氏の「発車しま~す。列車にお戻りくださ~い」の声に急き立てられて、車内に戻ります。1213の発車、次は名寄です。25kmに満たない区間なので、急行券は320円です。名寄は1234到着、停車時間は9分です。公式にタイアップしているお弁当は、ここでの受け取りです。私はこの弁当の予約には敗退しています。幌延で、秘境牛ハンバーグ弁当を受け取って、もう美味しくいただきました。

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2022_05290214(名寄にて)
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 名寄駅のLED職人ががんばっていました。ここでまた指定券が変わり、今度は席も変わります。また2号車に戻りますが、音威子府までとは別の席です。名寄から旭川までは1枚の指定券、同じ席です。普通は最初から最後まで1枚の指定券、同じ席だと思います。

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2022_05290226(士別にて)
 次は士別、1300着です。ここもホームで特産品を売っていて、羊牧場から、着ぐるみが来ていました。士別から塩狩までは各駅に停まります。次の剣淵は、ホームが短いので、2号車の扉は開きません、という案内がありました。剣淵ってそんな短かったかな、と不思議に思い、降りてから見てみると、確かにホーム自体は4両分くらいありましたが、停止位置目標が、2両を前提に植えられていて、そこに停まったため、はみだしたようです。無人駅なので、わざわざ係員を配置して、臨時の停目を置く、ということはしなかったのでしょう。

 

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2022_05290231(剣淵にて)
2022_05290228(きっぷ販売の駅前商店)
 特産品販売はありませんが、駅前商店で、北の大地の入場券を売っています。普段はきっぷも売っています。駅からぞろぞろと次々にオタクが押し寄せていきます。入口に、おじさんが消毒液を持って待ち構えているのには笑いました。店員氏曰く、きっぷ、今無いんですよ、とのことでした。本当にないのか、大量のオタクを捌くために、入場券だけにしたのかは定かではありませんが。
 絵本の町、剣淵町からは発射後の車内でパンフレットの配布がされました。次の和寒は、お出迎えの人が旗を振っています。ここも少し停まるので、撮影をしていました。

2022_05290246(和寒にて)
 和寒を出ると、塩狩峠を登ります。キハ40のエンジンでは、今にも停まりそうな速度しか出ません。頂上の塩狩で小休止です。下りの特急「サロベツ1号」と交換です。駅前のエゾヤマザクラは、さすがに葉桜でした。

2022_05290277(塩狩にて)
 発車してしばらくすると、旭川の三浦綾子記念文学館から、『三浦綾子文学で味わう宗谷の旅』と題した本が配られました。巻頭には、「JR北海道 『花たびそうや』号 おもてなし特典」とあります。観光列車のノベルティといえば、市町村のパンフレットが主流で、本が配られたのは初めてです。小説の一部を抜粋して掲載していて、いくつか続きを読みたくなったものがあるので、その後何冊か買いました。

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2022_05290286(比布にて)
 山を降りて、比布に停まります。駅舎のピピカフェで、グッズやらお菓子が売られています。入場券もありますが、何枚か日付を押した状態で待ち構えていました。

 宗谷管内は分厚い雲に覆われた天気でしたが、塩狩峠を越えてからは所々晴れ間が出てきています。先頭に日が当たったところで、また撮影をしました。

 比布を出ると、次は終着旭川です。車掌氏が、「全区間走破証」を配布していきます。その際、指定券を見せるのですが、5枚並べて待っていると、向かいの人と車掌氏は、さすがに驚いた顔をしていました。

2022_05290312(終着旭川)
 旭川市内の高架を駆け上がると、終着旭川です。稚内から6時間10分」の長旅が終わりました。宗谷本線は、特に名寄以北の北線区間で、地元との連携が取れているので、春だけでなく、定期的に観光列車を走らせてほしいですし、欲を言えば、石北本線のオホーツク方面でも走ってほしいものです。

 旭川に着いたのが、昼過ぎの1446で、帰りの飛行機まではまだ時間があります。レンタサイクルを借りて、神楽岡方面を散策していました。

 

 

2022年6月19日 (日)

急行「花たび そうや」その2(稚内→音威子府)

 下りの「花たび そうや」号で稚内に着いて1泊した私は、風の強い曇り空の朝、また稚内駅に来ました。上りの急行「花たび そうや」号は0834発です。朝からホーム上には観光協会の方が横断幕を持って見送りに出ていました。私の席は1号車の「紫水」です。あいにく山側ですが、この天気では利尻富士を望むことは絶対にできません。宗谷線で海が見えるのは南稚内~抜海間の一瞬ですので、右側でも左側でも大差ないです。

2022_05290141(稚内にて)
 列車は満席ですが、私のボックスはもう1人いただけでした。増1号車のフリースペースに陣取っている人もいます。1ボックス4人で、2両定員が実際は3両あるので、単純計算で1ボックスあたり、4×(3分の2)=平均2.6人、ロング部分にいる人や、3人以上いるボックスもあるので、1ボックス2人が相場です。キハ40のボックスに4人詰め込まれたら窮屈なので、これくらいがちょうど良いです。

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2022_05290144(1号車のサボ)
 南稚内から少し乗車して、アルプスの牧場が鳴ると、車掌氏が長い放送を始めました。稚内観光ボランティアの方が豊富まで乗車していて、観光放送をしています。宗谷丘陵は、明治期の山火事で森林が焼け、熊笹の原野になったというのは知りませんでした。周氷河地形が日本で唯一見られるところというのは知っていましたが、前から熊笹原野だと思っていました。

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 抜海付近で徐行運転をしましたが、海上には当然何も見えませんでした。事前に「今日は利尻富士は見えません」と予告があったので、見えないことを確認しただけです。

 エゾシカの飛び出しによる急停車をして、豊富に到着です。ちなみに、車内を歩いてみた感想として、パックツアー等の一般観光客はほぼいませんでした。要するにオタク輸送列車です。豊富で、

2022_05290157(豊富にて)
2019_07280408(3年前の「風っこ そうや」号)
 「風っこ そうや」号の時と同じアングルで写真を撮っていました。そのときも今日も曇り空です。初めて稚内に来た9年前は抜けるような青空で、海上の利尻富士を見た記憶があります。

 10分ほど走って幌延です。ホームで幌延観光協会の物産販売があります。私はここで弁当を受け取りました。「花たび そうや」号と公式にタイアップした弁当は名寄駅で売っていますが、事前予約で売り切れだったので、音威子府村や幌延町がやっていた弁当予約を使いました。Twitterかなにかで存在を知りました。幌延受け取りの秘境牛ハンバーグ弁当(幌延町のトナカイ牧場レストランが作っています)や、天塩中川受け取りの音威子府そばとかに飯弁当などがありました。

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2022_05290161(幌延)
 幌延を出てしばらくすると、雄信内で対向列車待ちです。見ていると、北海道警察のパトカーが駅前に入ってきました。撮り鉄でも線路内に侵入したのか、と思っていたら、なんのことはなく、警察官も列車に手を振っていました。

 天塩川と接近し、川を渡らない橋として著名な問平陸橋を渡ります。天塩川は雨で茶色く濁っています。対岸に砂の川原があり、3年前、ここから「風っこ そうや」号を撮影していた人がいました。道路はなさそうで、岸は森です。カヌーが見えたので、おそらく上流からカヌーを漕いできたのだと思われました。今日はそんな執念の人もいません。

2022_05290175(問平陸橋を渡る)
 問寒別橋梁の撮影隊を横目に、市街地に入りました。河岸には今日も北海道警察がいました。いわゆる追っかけのスピード違反取締のためか、この先も列車に並走する警察車両を何回か目にしました。

 天塩中川では17分停車です。私のきっぷは、ここから指定券が変わります。といっても、席は同じです。この先も、音威子府、美深、名寄と指定券が切り替わります。計5分割です。ただし、席が変わるのは音威子府と名寄の2回だけです。

 発売日の1週間前に、気合を入れて有休をとり、1400に、まず全区間、次に区間を適当に区切って、いろんな区間で事前予約を上限の10件仕込みました。事前予約だけでは信用できないので、発売日、実家から、えきねっとにアクセスしました。

 全区間は当然満席で、まず、稚内から音威子府、これもダメ、次、天塩中川、△だ、確保、そしたら次は天塩中川から音威子府、あ、これもある、確保。この段階で予約を一旦確認すると、事前予約で名寄→旭川だけ取れていました。よって、あとは音威子府から名寄です。着駅、旭川、×、次、名寄、×、美深、△、確保。ラスト、美深→名寄、△、確保。そういうわけで、なんとか全区間確保しました。天塩中川と美深は結果として区切らなくても取れたのですが、適当に検索をして、見つけた区間は即確保という方針で取ったので、5分割されました。通しで買えば1850円ですが、合計5730円もかかりました。急行料金の遠距離逓減が受けられないのと、毎回530円の指定席料金がかかるのが理由です。窓口へ持っていけば、通しの料金にできはしますが、めんどくさいので止めました。

 話を戻します、天塩中川の物販は一番気合が入っていて、9月で廃業する音威子府村の畠山製麺の黒い音威子府蕎麦も売っていました。1人1束で、限定25束です。高齢化が理由で廃業するそうですが、門外不出の製麺法で、もう二度と黒い蕎麦は食べられなくなります。これからこういう事例が各地で更に増えそうですが、どうにかならないものなんですかね。

 宗谷線活性化協議会のグッズ販売などもあったので少し貢献してきました。

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2022_05290187(天塩中川)
 佐久~筬島間では、天塩川の対岸に「北海道命名の地」が見えます。音威子府村の殻が幟を振っています。幕末の探検家松浦武四郎がこの地で、「北加伊道」という名称を考案し、明治政府が北海道と名付けたそうです。

2022_05290193(北海道命名の地)
 筬島を通過するとまもなく音威子府です。私は座席移動をしなければなりません。なぜか音威子府は3分停車です。車掌氏も、「音威子府はお客様の乗降が済み次第すぐの発車です。また、駅のみどりの窓口は日曜日のため休業しています。駅舎へ走っても、入場券はお買い求めいただけません」と言っていました。

 音威子府からは、また次回に続きます。

 

 

2022年6月13日 (月)

急行「花たび そうや」その1(幌延→稚内)

 お久しぶりです。北海道ばかり行っていたり、少し忙しかったりで更新が途絶えていました。

 さて、一昨年に初めて企画されるも、緊急事態宣言(懐かしい響きがしますね…)の発出により運転取り消しとなり、昨年こそは、と指定券の発売がされるも、またもや緊急事態宣言の発出により、運転開始前日の夜20時に突如運転中止が発表された宗谷本線の観光列車、急行「花たび そうや」号が、今年も設定されることになりました。ちなみに去年は、指定券を10時打ちしてもらって取れたものの、3か月くらいしてから払い戻しています。

 運転区間は昨年企画分と同じく、旭川~稚内の全区間、土曜日に下り稚内行き、日曜日に上り旭川行き、運転期間は、5月14日~6月5日の合計8日間、上下各4本です。指定券は昨年同様、熾烈な争奪戦が想定されました。JR北海道も、緊急事態宣言が出される度に観光列車を運転中止にしていたのでは各方面から反感を買う、と気づいたのか、昨年秋ごろから、車内イベント一部中止にするくらいで運転自体は継続していたので、今年は運転されるだろうと予想ができました。

 初日の発売日は参戦せず様子見をしていて、当落がTwitterで出るだろうと思っていましたが、情報がほとんど上がってきませんでした。2年連続運転中止になっていたので、敬遠されたのかと思いました。翌週は予備で参戦するつもりで、えきねっと事前予約の待機をしていましたが、丁度この日は、えきねっとがサーバー落ちしたのか、まったく繋がらない状況でしたので不戦敗です。

 駅で10時打ちした人の情報を見ていると、上りの名寄~旭川間で、60/80席が団体枠になっているとかいう噂がありました。マルスで座席選択画面を見れば、団体枠分は、〇でも×でもなく、団体と表示されるので、見ればわかります。真偽のほどはともかく、(限りなく真に近いとは思いましたが)、結構厳しい戦いだなと思いました。

 本命の5月28日発売分は事前予約を打ちましたが、敗れました。しかし、会社で夕方何気なく、えきねっとを見ると、乗車予定区間の幌延→稚内は、△が出ていました。すかさず確保です。通路側でしたが、まあそこはいいです。翌日29日は、稚内→旭川の全区間乗車しようとしていたので、事前予約を打つために有給休暇を取りました。その顚末はまた次回にします。

 そういうわけで、下りは乗れることが確定しました。「今年こそ、行けSOYA」というキャッチコピーで無事に運転が開始されました。ただ、私のフォロワーさんの範囲では、乗車ツイートはおろか、リツイートでさえ回ってこなかったので、事前情報通り、団体枠が多かったことが推測されます。

 こういう観光列車は、運転を企画しても、指定券は歴戦のオタクにより発売開始とともに、1、2秒で瞬殺され、本来想定していた顧客の一般観光客が複数名で乗ろうとしても、まず指定券が取れない、空きが出ても1席だけ、それもすぐ取られる、という状況になるのが常で、乗車すると、観光なんかしなさそうな、終着駅に着いたらすぐ折り返していくオタクばかり、ということがままあります。それを回避するために旅行社のパックツアーに取り込んで、団体枠設定で予め席を抜いておく、ということがよくあります。それ自体は企画目的に沿ったものですので、私は賛成ですが、4分の3を抜くとかそういうのはどうかな、とは思います。

 それはともかく、Twitterで観測している限りではあまり話題になっていませんでしたが、5月26日夜のAIRDO便で私は千歳に飛びました。最初の予定通り、翌日は羽幌線沿いのオロロンラインを沿岸バスで北上し、初山別村で1泊しました。星が綺麗な天文台のある村で、前浜でとれた魚介類が美味しい温泉宿があるので個人的に気に入っていて、よく来ます。朝、千歳のホテルで思いっきり寝過ごし、フロントの電話で起こされるという失態を犯しましたが、夕方には初山別に着きました。ただ天気がダメで、留萌についたときには折り畳みは役に立たない大雨で傘を買いました。

2022_05290030(初山別村の朝)

2022_05290034(みさき台公園。すぐ曇り)

2022_05290055(バスが来る頃には、雨)
 海の幸と温泉を堪能して、翌朝目が覚めると、外は青空が広がっていました。これは期待できるかと思いきや下り坂の天気で、初山別を沿岸バスで出発するころにはまた雨になりました。この頃には、「花たび そうや」号は旭川を出発しています。フォロワーさんが大勢乗車しているのが観測されました。1号車はオタク、2号車は団体の一般観光客という棲み分けで出発したようです。

 さて、バスで幌延に着きました。駅舎は、「花たび そうや」の歓迎ムードです。観光協会の方が大勢現れましたが、乗客は見えませんでした。幌延から乗るのは私一人のようです。
2022_05290076(幌延駅)
2022_05290112(幌延町のゆるキャラ「ホロベー」)

 列車は「紫水」を先頭に入線してきました。編成は前から、「紫水」、「道北流氷の恵み」、「山明」の3両編成で、1号車、増結1号車、2号車の順です。増結1号車はフリースペース扱いです。

2022_05290080(「花たび そうや」号が入線)
2022_05290109(幌延にて)
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 私の席は2号車の通路側でしたが、同じボックスの反対側が空いていたので、そちらに座りました。2号車の一般観光客はどこかで降りたようで、オタクしかいませんでした。この「山紫水明」シリーズは、普通のキハ40を観光改造したもので、座席配置などはそのままですが、モケットや内装に手が入っています。

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2022_05290094(ヘッドマーク)
 前後でヘッドマークのデザインが異なっていて、稚内方の「紫水」は、利尻富士と原生花園、旭川方の「山明」は、塩狩峠の桜をイメージしているようです。道北の原生花園は、サロベツ原生花園が著名ですが、花の最盛期は、6月初旬から中旬です。オレンジ色のエゾカンゾウが咲きます。この日、私は遠別町の金浦原生花園というところで途中下車しようと思っていましたが、まだ咲いてませんでした。去年は6月初旬で満開になっていたので期待していたのですが。
2021_06070142_20220613144101(参考:昨年の遠別町金浦原生花園)

 幕は「急行」、サボも「急行|指定席」が差してあります。フリースペース扱いの増結1号車は「急行」だけでした。

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2022_05290096(2号車のサボ)
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2022_05290114(増結1号車のサボ)

 列車は宗谷丘陵を走り、豊富で停車します。豊富町の物産販売は中止になったそうで、誰もいませんでしたが、駅隣接の観光案内所は営業していて、北の大地の入場券やら、北の駅訪問証やらが飛ぶように売れていました。この列車には乗務員のほかに旭川支社営業グループの名札を付けた職員氏も数名乗車していて、乗り遅れがないか確認していました。

 豊富を出て抜海を通過すると、晴れていれば利尻富士の見えるところで徐行します。そういえば徐行区間以外は、80~90km/hくらいで快走していました。この天気なので、当然利尻富士は見えませんでした。

 丘陵地帯の原野から、いきなり住宅と舗装道路が現れ、稚内市街に入ります。熊笹の茂る原野に突如として直線の道路が現れ、その道路の下をくぐると、いきなり大都会になる、稚内のこの瞬間は好きです。北海道の都市は大体どこもこんな感じで、いきなり大都会に入りますが、ここ稚内は最果ての人口3万人の大都会で、余計にいいです。

 市街に入ると、、すぐ南稚内です。稚内市の中心部はここですが、ほぼ降りませんでした。余談ですが、稚内は市内線のバスが15分に1本走っていて、市内移動は結構便利です。

高架線を上がり、すぐ終着の稚内、1643着です。私は幌延からの約1時間でしたので、すぐ着いた、という印象ですが、旭川からは長かったと思います。この日は稚内駅から徒歩5分くらいの波止場に近いホテルに泊まり、夜は、名物の蛸しゃぶを食べに行きました。

 翌朝は7時過ぎに起きて、また小雨の中を稚内駅へ向かいました。出発は0834です。また次回に続きます。

 

 

2021年7月10日 (土)

花たび そうや号

 宗谷本線の観光列車、急行「花たび そうや号」は、昨年から春臨として計画されています。昨年は旭川~音威子府の南区間と、音威子府~稚内間の北区間に分けて計画されていましたが、第1回緊急事態宣言の影響を受け、指定席の発売前に運転取消しとなりました。

 今年こそは、と今度は旭川~稚内の通し運転で計画されました。車両は昨年計画と同じくキハ40系を観光改造した「山紫水明」シリーズの2両編成です。全車指定席の急行列車として設定され、JR北海道では、大々的にPRしていました。運転距離は実に250km、片道6時間の臨時列車で、土曜日に稚内行き、日曜日に旭川行きの運転です。

 私は6月初旬、下りの旭川→稚内と上りの稚内→豊富で乗ろうとしていて、指定券発売1週間前の早朝0530、平日なら普通に起きている時間ですが、気合を入れてパソコンに向かって時報を鳴らし、えきねっと事前受付に挑みました。全速力で打ち込んだ結果は、7番で、これなら取れるだろうと思っていました。しかし、事前受付だけでは安心できないので、GW期間中の発売日、実家に帰っていた私は三ノ宮駅に向かいました。以前は10時打ち専用待機列がありましたが、0910に一度窓口氏に聞いてみたところ、もう無いとのことで、0950頃にもう一度来てくださいと言われたので、窓口の前で待っていました。50分きっかりにもう一度行き、申込用紙を差し出すと、裏で人を集めてくれていたようで、マルス4台全てに係員氏を配置し、時計をにらんでいました。この列車、一瞬で無くなる、この前はダメだった、とか、鬼滅のSLは何回打ってもダメだったけど、券売機のコールセンターが取ったらしい、とか、今日は取れるかな、席はどこでもいいです?とか、なんか楽しそうでした。10時3分前くらいにお客さんが現れましたが、今きっぷの手配していますので少々お待ちください、と止めてくれました。4台全てで打った結果、4席取れました。どこにする?と聞かれ、ただ座席配置がよくわからないので、窓側を選びました。お礼を言って意気揚々と三ノ宮駅を後にしました。
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 ちなみに、後でえきねっとを見ると、事前受付分も取れてました。こっちはすぐ放流です。翌日の上り列車は、事前受付であっさり取れていました。航空券の手配も済んでいたので、あとは当日の天気くらいの心配でした。今年は運転されるだろう、とその心配はしていませんでした。

 風向きが変わったのは、翌週です。既に首都圏関西圏などには4月25日から緊急事態宣言が発出されていて、札幌市を中心に感染者数が急増していた北海道は、5月7日、特措法に基づく、まん延防止等重点措置の適用対象地域となることが決定され、札幌市が対象自治体となりました。続いて、5月10日の全国知事会において、札幌市の感染状況が深刻化していることから北海道に緊急事態宣言を発出すべきとの意見が出される中、鈴木北海道知事は、北海道は22県分の面積があり、確かに札幌市とその周辺では感染状況は深刻だが、それ以外の地域には波及していない、他県とはちがう、こうした北海道の事情を考慮して、都道府県単位でしか出せない緊急事態宣言ではなく、自治体ごとに適用できるまん延防止等重点措置にしておくべきだ、仮に宣言を発出するとしても、全道ではなく、、地域限定にできないか、と宣言の発出には否定的な発言をしていました。政府としても鈴木知事と同意見で、北海道に宣言発出はないだろう、と思っていました。

 5月13日、政府の分科会が開かれ、政府案が議論されましたが、委員から「緊急事態宣言の方が、メッセージ性がある」、まん延防止等重点措置では甘い、などの厳しい意見が相次ぎ、西村担当大臣が閣議に飛び込んできて、まん延防止では持ちません、と菅総理に報告したところ、「専門家がそう言うなら、緊急事態宣言でいいじゃないか」と、北海道に緊急事態宣言が発出されることとなりました。「メッセージ性がある」などというただそれだけの理由で宣言を発出するのは、地域の実情を顧みず、現場の知事や厚労省の行政各部の意見を無視していますし、そもそも、「メッセージ性」なる理由付けは、するとしても政治の判断です。専門家はデータに基づいて科学的見地から助言をするのが筋で、諮問機関にすぎない分科会が発する言葉ではありません。

 北海道への緊急事態宣言発出は5月16日(日)から31日までとされました。これが発表されたのは14日(金)17時頃です。急行「花たび そうや号」の一番列車は、翌日15日(土)10時41分に旭川を出発です。さすがに今回は運転するだろうと思っていましたが、14日(金)20時過ぎ、JR北海道本社からプレスリリースが発表され、翌日の列車から全列車の運転取りやめが突如発表されました。Twitterを見ていると、新千歳空港に到着してからこの発表を知った人もいたようで、不憫でなりません。旭川に10時41分までに着くには、首都圏からだと前日に渡道しておく必要がありました。

 旭川の改札前には大きな垂れ幕もあり、沿線市町村では、弁当からグッズから何から何まで準備されていました。そりゃそうです。列車の運転まで数時間しかなかったのですから。列車もヘッドマークを掲げて、旭川運転所に待機していたようです。しかも予定では「山紫水明」の2両編成だったところ、間に「北海道の恵み」シリーズの1両を増結して3両編成だったとの投稿も見ました。指定券完売で、少しでも車内の密を避けようとした結果だろうと思っています。

 こうして、急行「花たび そうや号」は2年連続で運転されませんでした。休暇を取って、5日間の道北旅行を計画していた私は、止めるのも癪なので、行程を変更して行くことにしました。北海道の緊急事態宣言は、想定通り、延長され、6月になっても対象区域のままでした。現地に行ってから知りましたが、結局、北海道の宣言は、法律の手前、全道が対象とされていますが、実際は、緊急事態「措置」区域として、札幌市、小樽市、旭川市、石狩振興局管内が指定され、これらの自治体では休業要請など、宣言が発出されている他都府県同等の措置が取られていましたが、それ以外の地域は、一応時短要請はされていますが、午後9時までで、商業施設等への休業要請もなされず、地域の実情に応じた棲み分けがなされていました。個人的には鈴木知事が抵抗したためだと思っています。

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「花たび そうや号」のグッズを販売する予定だった、旭川駅の四季彩館を覗いてみると、キーホルダーとボールペンはまだ売っていました。その後、日本海オロロンラインをレンタカーで北上し、初山別村の温泉で2泊して道北観光をしていました。遠別町の金浦原生花園では、オレンジ色のエゾカンゾウが満開でした。今年は暖かかったので、平年より少し早い満開だと思います。

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2021_06070104 (初山別村にて)
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(遠別町の金浦原生花園にて)
 2年連続で運転取りやめとなった「花たび そうや号」ですが、来年こそは運転されることを期待したいと思っています。余談ですが、三ノ宮駅で取ってくれた急行券は払い戻す気になれず、まだ机の引き出しに入れていたりします。期限は1年以内なので。

 

 

2016年7月26日 (火)

急行「はまなす」自由席急行券(補充券)

 今年3月の北海道新幹線開業で、津軽海峡線が新幹線対応となったことにより、同区間を走る青森~札幌間の急行「はまなす」は廃止されました。これにより、JRから自由席急行券の通用する列車は事実上消滅しました。

 その最終列車となる始発駅基準3月21日発車の列車は上下ともに全車指定席で運行されたため、自由席があったのはその前日の列車までです。

 それで、「はまなす」は夜行列車であるため、青森もしくは札幌を3月20日に発車した列車は翌日の21日の早朝になってもまだ線路上を走っています。当該列車には勿論、自由席がついています。前日に始発駅を発車する夜行列車に、日付が変わってから乗車する場合は、旅客営業規則上、始発駅基準の日付では無く、翌日付のきっぷを買って乗車することになっています。つまりこの場合、3月20日に青森もしくは札幌を発車した列車に、翌日21日になってから乗車する場合、21日付のきっぷを買って乗車することになります。
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 普段であれば、これで何の問題もないのですが、運行最終日は、21日始発駅発車の列車は全車指定席でした。つまり、自由席急行券では乗れません。自由席のある、前日発車の列車は、早朝に運転を終えており、また、当該列車が、日付変更後に停車した駅には、21日発車の列車が21日中に停車することはありませんでしたので、理論的には、21日付の自由席急行券を発売しても誤乗することはないと思われますが、上述の通り、ただでさえややこしい夜行列車のきっぷ(特に日付について)の発券ミス、また、旅客の錯誤等により、21日付の自由席急行券をいつも通り機械(マルス端末)で何の躊躇もなく発券してしまうと、混乱が起こる可能性があると判断され、3月21日付の自由席急行券については、マルス端末での発売制限がかかりました。当該きっぷを発券しようとしてもエラー表示が出ました。そこで当該きっぷを必要とする(欲する)旅客に対しては、補充券での発売と相成りました。発売制限を掛けた上で補充券発売ということであれば、発券の際に、しっかり日付等を旅客、窓口氏が確認することになりますので、発券ミスは減ると考えられます。

 私は吉祥寺駅で、さも乗る必要があるのだ、という振りをして

「3月21日の苫小牧→札幌の自由席急行券を」

と言いました。

窓口氏はマルスを叩き、エラーが出たので、タブレット端末で社内通達のようなものを眺めて、

「少々お待ちください」

あれ?とか言いながら奥に行きました。

それでもう一人連れて来て、補充券の記入を始めました。

連れて来たその人は補充券のエキスパートみたいな感じの人で、テキパキと記入してくれました。

ちなみに売上処理はPOSでやるみたいです。

使う予定は全くありませんでしたが、自由席だったため、その列車に本当に乗りたい他のお客さんに迷惑を掛けることもないと思いましたので、1枚書いてもらいました。

2016年6月22日 (水)

急行「東海道トレイン家康」

ご無沙汰しておりました。就職関連で忙しかったもので、、、ぼちぼち再開していこうかと思います。。。


 急行「東海道トレイン家康」は、昨年の12月26日に静岡→岡崎間で片道のみ運転された臨時急行列車です。1616年が徳川家康の没年にあたることから、「徳川家康公顕彰四百年祭」が家康ゆかりの地である静岡、浜松、岡崎等で開催されており、その一環として運転された列車です。

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(静岡にて。ゆるキャラ、茶っきり娘、甲冑隊と。)
 列車は373系6両編成で、途中の停車駅は浜松のみ。静岡は徳川家康が1590年の小田原征伐で関八州に移封されるまで居城としていた駿府城のある地、浜松は駿府城を拠点とするまでの居城、岡崎は家康生誕の地です。
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6両編成の内、2両は一般発売枠、3両はJR東海の旅行商品枠、残りの1両は一般客立入禁止のVIP専用車両でした。この専用車両には6号車が割り当てられており、静岡市長、浜松市長等が乗車していたための措置で、5号車と6号車の貫通路には静岡県警の警察官が配置されており、一般人の立ち入りを制限していました。私が知っている限りで、こういう措置を取っていた列車は未だかつて見たことがありません。

Dscf5104(家康公顕彰四百年祭)
 
各車両のコンパートメントは発売されておらず、静岡市、浜松市の物産店、列車グッズの販売拠点として利用されていました。
 
この列車の指定券を取るために私は近くの拠点駅に9時45分頃から並んで10時打ちをしてもらいましたが、通路側しか取れませんでした。聞くところによると、発売開始後10秒程度で瞬殺されたそうです。
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静岡駅では、静岡の「茶っきり娘」「甲冑隊」、ゆるキャラの「竹千代くん」「今川さん」の見送りがありました。発車してしばらくすると、車掌の放送に続いて、静岡市長による挨拶がありました。(私は全く聞いていませんでしたが…)当日は快晴で、東海道線を制限速度一杯で走っており、臨時列車にありがちな徐行運転等はありませんでした。東海道本線というキャパシティの大きい大幹線であったが故のことかもしれませんが。運転停車も無く、浜松に到着すると、ゆるキャラの「出世大名家康くん」が車内に乗り込んできました。
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浜松を出ると、浜名湖湖畔を走ります。丁度その頃、浜松市長による挨拶がありました。そのあとは豊橋で乗務員交代の運転停車をしたぐらいで、またも東海道線を軽快に走って行きました。豊橋を出たあたりで、乗車記念品として、JR東海特製の「373系カレンダー」が一人一冊配布されました。CDカバーサイズのもので、373系の臨時列車の写真が収められているものでした。その他車内配布物として、紙袋一杯の観光冊子、静岡名産の茶飴等がありました。この中には「定価400円」と書かれた観光ガイドブックも含まれていました。また、座席の枕カバーは紙製のこの列車限定仕様で、「どうぞ記念にお持ち帰りください」ということだったので、剥がして持って帰りました。一部の座席はJR東海の添乗社員用だったので、そこのものを剥がして2枚持って帰る強者もいましたが…

Dscf5118(岡崎にて。家康くんと。)
 岡崎に到着した後は駅前で何かしらのイベントを行なっていたようですが、すごい人なのがホームからも見て取れたので、めんどくさくなって駅から出ることなく、後続の快速電車で名古屋方面に向かいました。岡崎城址でもイベントがあったようです。
 この列車の運転を最後に「徳川家康公顕彰四百年祭」に関連した臨時列車の運転は終了しました。

2016年1月 3日 (日)

急行「はまなす」

2010_0720200232_2(青森にて)
 急行「はまなす」は、青森~札幌間を結ぶ夜行急行です。現在ではJRグループ最後の定期急行列車となり、また、最後の定期客車列車となっています。青函トンネルの開業した昭和63(1988)年3月13日に運行を開始したJRの急行列車です。由緒正しき急行列車の様に思われがちですが、国鉄時代を知らない列車です。青函連絡船の夜行便を受け継いだダイヤとされました。運行当初は座席車のみの5両編成でしたが、その後、B寝台車の連結、カーペットカー、ドリームカー(いずれも指定席)の連結と続き、現在、所定の編成はB寝台2両、自由席2両、カーペットカー1両、ドリームカー2両の計7両です。
2010_0720200240(青森にて)

2010_0720200249(寝台車)
 客車は主に、急行「ニセコ」の旧型客車置換用に札幌運転所に大量配置された北海道仕様の14系500番台客車を使用しています。寝台車は24系です。一部は電源装置を装備し、14系に編入されています。自由席車両はストッパー付簡易リクライニングシートのままです。連休中や夏休み、年末年始等の繁忙期には最大12両まで増結されます。この場合、B寝台3両、自由席3両で、あとはカーペットカー、ドリームカーを含め指定席車両となることが多いです。
 運行開始以来、本州と北海道を結ぶ夜行急行列車として人気を保って来ましたが、今年3月26日の北海道新幹線開業に伴い、青函トンネルを通れなくなるため、廃止されることが決定しています。改正後は、札幌発青森行きの代替として札幌~東室蘭(室蘭)間で特急「すずらん」が運行されることになっています。早朝札幌着の列車については代替列車はありません。この列車の廃止によって、青函連絡船時代から続いて来た青函夜行は幕を下ろします。
2010_0720200265_3(急行「はまなす」札幌行き)

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 私は、5年前、高校生だった頃、神戸から北海道へ渡るのに往復とも乗りました。7月の海の日連休を使っての3日往復の強行軍で、新大阪6時丁度の新幹線で東京乗換、秋田、五能線経由で青森まで行きました。22:42発の急行「はまなす」は私にとって、最初の寝台車でした。行きは上段しか取れず、発車前の青森で下段に変更を試みるも満席でした。指定された寝台のボックスに入り、梯子を登ってカーテンを閉めると、そこは幅70cm、高さ95cm、長さ190cmの狭い空間ながらも自分専用のスペースで、通路の屋根裏には荷物置きまであり、その機能性の高さに感心しました。それと同時に少しカーテンを開けると、下の通路まで結構な高さがあり、怖かったのも事実です。
2010_0720200252(B寝台入口)

2010_0720200257(上段寝台)
 青森を発車し、客車列車独特の「ハイケンスのセレナーデ」を聞きながら、座席夜行とは違う雰囲気を感じ、寝台に横になると、青函トンネルに入る頃には、すっかり夢の中に入りました。目覚めたのは、苫小牧あたりだったと思います。上段の小さな窓から外をみると、そこには、本州とは比ぶべくもない、広大な勇払原野が広がり、北の大地に来たのだと思いました。千歳を出て、次第に市街地に入って行くと、札幌も近いです。夏だというのに湿度も低く涼しい、北海道の玄関口、札幌駅に着いた時の感動は今でも忘れません。
2010_0720200271(札幌にて)
 伊丹空港から新千歳空港に飛べば、それこそ2時間も掛かりませんが、青森からの夜行寝台で北海道に上陸したからこそのものだったと思います。今でも、基本的に北海道へ渡るときは青函トンネルをくぐっていますが、東京から新幹線に乗っても半日以上かかる札幌というところはそれだけの時間を掛けて行くべき所であると思います。
 この列車が無くなると、いわゆる「B寝台」という設備を持った列車も無くなります。これが私にとって結果的に、最初で最後の開放型B寝台列車の旅になったと思います。個室寝台とは違った、古い時代の良さがあったような気がします。