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2018年2月の3件の記事

2018年2月21日 (水)

快速「はまゆり」

 快速「はまゆり」は、盛岡~釜石間を、東北本線、釜石線経由で結んでいる快速列車です。東日本大震災で、山田線の釜石~宮古間が不通となる前は、朝の盛岡行きが1本、宮古始発で運転されていました。
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2010_0720200672(盛岡にて)

 この列車は、もともと急行「陸中」として運転されていたものを、平成14(2002)年に快速化して誕生しました。急行「陸中」には、平成2(1990)年から、キハ110系が投入されており、これが同系列最初の列車となりました。車内は、一般型とはいうものの、2&2列のリクライニングシートが並んでおり、急行列車にふさわしいものとなっていました。快速化されてからもリクライニングシートのキハ110系はそのまま使われており、1両が指定席となっています。
2010_0720200694(車内)

 岩手県内部の盛岡市と、三陸海岸の都市を連絡する役割を担っており、用務客等が結構乗っています。釜石線は、新花巻で東北新幹線とも接続していますので、観光客の姿も見られます。そういった人たちのための指定席なのだと思います。
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 私がこの列車に乗ったのは、もう8年ほど前のことです。東日本大震災の前で、三陸海岸の綺麗な海に見とれていました。とは言うものの、この列車はそこまでのアプローチに使ったのですが。盛岡発車時点では、座席が進行方向と逆向きにセットされていました。花巻で進行方向が変わるためです。指定席の乗客は案外少なく、閑散としていました。三連休中ではあったのですが。
2010_0720200696(陸中大橋Ωカーブ)

 今は、この釜石線に観光列車の「SL銀河」が走っていますが、当時はそんな列車もなく、ひたすら山間部を三陸海岸へ向って走って行ったような気がします。途中の仙人峠(上有住~陸中大橋間)には、有名なオメガカーブがあり、鉄橋を渡っているときに、これから走る線路が、谷のはるか下に見えたのを覚えています。
2010_0720200701(釜石駅)
 釜石に到着してからは、三陸鉄道のレトロ車両に乗り換えて、盛、気仙沼方面へ向かいました。

2018年2月 8日 (木)

大阪市内→箱根湯本

 箱根登山鉄道は、小田原から、温泉街で有名な箱根湯本を通り、強羅までを結ぶ鉄道線です。全区間、標準軌の路線ですが、小田原から箱根湯本までは、小田急線の特急ロマンスカーが乗入れてくるため、標準軌と狭軌の3線軌条となっている珍しい区間でもあります。箱根湯本から先は急勾配の連続する登山鉄道で、専用の車両が導入されています。最急勾配区間は、80‰です。登山鉄道で構成される通称「‰(パーミル)会」の会員でもあります。  
Img_0529(箱根湯本駅)
 そんな箱根登山鉄道ですが、JRとの連絡運輸を行なっています。接続駅は小田原で、首都圏各線、東海道新幹線各駅のほか、JR西日本の京都市内、大阪市内との連絡運輸もあります。そんな長距離区間を購入する人がいるのかどうかはかなり疑問ですが、制度上は買えることになっています。  箱根登山鉄道の社線運賃設定駅は、強羅までの各駅(ただし、塔ノ沢を除く)です。塔ノ沢以外は有人駅ですので、無人駅を除く各駅、ということになります。
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 箱根登山鉄道の運賃は全てマルスに登録されています。JR東海の小田原駅での接続があり、同社は自社の関係する連絡会社線の運賃を全てマルスに登録しましたので、箱根登山鉄道もその一社として、登録されています。そのため、金額入力などの複雑な操作を行なわずとも、経路自動検索機能からすんなり発券できます。  
 私は、連絡運輸範囲の最遠である大阪市内から、箱根湯本までの乗車券を購入しました。三ノ宮駅の窓口で発券してもらいましたが、最初、若い女性の窓口氏は、そんな連絡運輸があるのか、という怪訝な顔をして、「調べてまいります」と言って、奥に一旦下がりました。それで、「連絡運輸の範囲内ですので、発売できます」と言って、発券してくれました。
Img_0532(湯元温泉街) 
 京都まで新快速で行き、そこから新幹線に乗り、名古屋で、小田原停車の「ひかり」に乗り換えました。小田原で、小田急・箱根登山線のホームに行き、VSEのロマンスカーに乗り換えました。基本的に、小田急ロマンスカーは、箱根登山線内のみの利用はできませんが、車内に空席がある場合に限り、200円の「座席券」を発売しています。これを買えば、ロマンスカーに乗れます。箱根湯本までは6.1km、所用時間は約15分です。追越し等はないので、先に小田原を出た列車が箱根湯本まで先着です。この「座席券」は、そのうち記事にします、、
Img_0534(温泉街) 
 箱根登山鉄道の急勾配区間は、箱根湯本を出てからなのですが、既にかなりの勾配で、そこを小田急のロマンスカーが走っているのは、結構な違和感がありました。箱根湯本の駅は、温泉街の玄関口にふさわしい大きさで、かなり賑わっていました。  
 少しだけ温泉街を眺めて、私は、新宿行き特急ロマンスカーの乗客となりました。

2018年2月 3日 (土)

宇和島しおかぜ

 四国の予讃線には、特急「しおかぜ」が運転されています。昭和47(1972)年に、急行「いよ」を格上げする形で、特急「南風」と同時に運転を開始した、四国初の特急列車です。当初は、高松で宇高連絡船に接続し、高松~宇和島間で運転されていました。その後、昭和63(1988)年に瀬戸大橋が開通すると、岡山発着に改められ、高松発着は「いしづち」となりました。
 予讃線の電化が完成すると、振り子式電車の8000系が投入され、「しおかぜ」の大半は、同系にて運転されることとなりましたが、電化区間は、松山の西、伊予市までであり、伊予市から先、宇和島方面は非電化のままであったため、宇和島発着の一部列車は、気動車の2000系での運転が続いていました。
2008_08151100511(松山にて)
 しかし、宇和島方面と岡山を直通利用する旅客はそう多くないこと、同じ「しおかぜ」にも関わらず、電車と気動車で車内設備が異なることもあり、新型特急車両8600系が登場した平成28(2016)年3月のダイヤ改正で、特急「しおかぜ」は全列車が松山発着に改められ、宇和島直通列車はなくなりました。松山-宇和島間は、特急「宇和海」が1時間に1本ほど運転されています。これと同時に、気動車の2000系は「しおかぜ」「いしづち」から撤退し、同列車は、全て電車特急による運転となりました。
2008_0815110048(宇和島駅)
 前日の快速「ムーンライト高知」で、四国南部へやって来た私は、窪川から予土線に乗りました。もう10年も前のことになります。夏の蝉が鳴く四万十川の景色を眺めて、宇和島に着きました。宇和島は、闘牛や鯛飯の有名な城下町です。しかし、この時は、市内をゆっくり観光する時間もなく、昼食の駅弁だけ仕入れて、岡山行き特急「しおかぜ22号」の客となりました。1254発の宇和島から1413着の松山まで1時間ほどの道程です。宇和島には、このあと5年経って、また来ることになります。そのときは、市内観光の時間を取りました。
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 お盆の最中の列車は満席でした。2000系を増結した長い編成で、このときは一部指定席がアンパンマン車両でした。列車は、宇和海の東側を走ります。その昔、清の李鴻章が「耕して天に至る」と形容した段々畑の温暖な地は、このあたりだったと伝えられています。
2008_0815110051(「しおかぜ」)
 列車は、伊予大洲(新谷)から、内子線に入りました。元々は、伊予長浜経由で瀬戸内海沿いを走る予讃線を経由していましたが、時間短縮のため、ローカル線であった内子線を軌道強化したうえで、新線を建設し、伊予市(向井原)に抜ける予讃線支線が昭和61(1986)年に開通すると、同線と一体となった運転が開始されました。ただ、内子線は路線名称としては残っており、そのため、新谷~内子間は、時刻表の、いわゆる「青線」(地方交通線)とされています。
 私は、この区間、殆ど居眠りをしていて何も憶えていませんが、列車はいつの間にか松山に着きました。列車はこのまま岡山へ向いますが、私はここで降りました。

 

 

 

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